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温度差


 冷めている、とあの子を判断する人は多い。
すると、僕は教えてやろうか教えてやるまいか逡巡するのだけれど、
結局は教えてあげない。こういうのは自ら気付くべき事柄だ。
本当は冷めているんじゃなくて、冷めているように見せているだけ。
いっそ可笑しくなって笑ってしまう。
何でそんな事が分からないのかなと、つい笑ってしまう。
そして……唐突に何かに気付いて眉を潜めてみる。
でも、何に気付いたのかを自問しても空白ばかりが目に映る。
釈然としないけれど、何事もなかったかのように振舞うのは得意だ。
やがて、本当に、この心は何に対しても動かなくなるのだろうか?
それならそれで、よいのかもしれない。
でも、きっと……








 何度かマッシュに注意された。
夜に出歩くなと言われても、こうも暑苦しい夜に健やかな眠りは訪れない。
涼しさを求めて夜の本拠地を探険すると、昼間には気付かない綻びにも遭遇する。
夜の散歩は意外と建設的だと思うのだが、マッシュの賛同は得られそうにない。
そもそも、マッシュはどうも理想を求めすぎるきらいがある。
解放軍とはご立派な名称だが、蓋を開けてみれば荒くれ者の集団に過ぎない。
軍主は(自分のことではあるが)反逆者として帝国に追われている身ではあるし、
主だった仲間の大半は帝国のブラックリストに載っていた犯罪者ばかりだ。
そして手足となるのは剣の扱い方も知らない農民や貧困街の人々。
そんな中でも帝国相手に勝利を収めているのはマッシュの知略あればこそ、
しかしながらマッシュは人の欲というものに鈍感である。
理想だけでは人心を得ることは出来ない。
欲を満たしてあげてはじめて、人というのは感謝の心を持つのだ。
──と、こんな風に教え込まれた経験が今、敵対する陣営で役立っている。
イシスは小さく苦笑を浮かべ、頼りない蝋燭の明かりを揺らした。
 重なり合う影と声と、ほのかに漂う匂いと熱気。
下へ下がれば下がるほど、世界は深い闇に呑まれていくようだ。
イシスの道を塞ぐように野獣たちが低いうなり声を漏らしている。
「やれやれ……その元気をぜひ、戦場で出してもらいたいものだ」
夜は静寂に身を潜め、静寂は異物を際立たせる。
イシスは来た道を戻り、しんと静まり返った自室のある回廊で、
足を止めるなりいくらか深刻な溜め息を吐き出した。
「まぁ、これで一種の欲が解放されるのなら黙認も必要か」
しかし。
本当に軍隊とは同性愛者の発生率が高かったのかと、
変なところで感心するイシスであった。



 屋上に辿り着いたイシスは、先客を見つけて躊躇する。
声を掛けるべきか、このまま引き返すかを、である。
相手は自分の存在に気付いているはずだ、何と言っても風に愛されし子だから。
ある程度の予想を立てて近付くと、案の定、相手は不機嫌そうな顔をしていた。
「何?何か用?」
決まり文句も一際鋭い。さすがのルックも暑さには為す術がないらしい。
イシスはゆっくりかぶりを振り、ルックの隣に並んだ。
風は停滞しており、熱い空気が本拠地全体を包み込んでいた。
「いや、涼みにきただけだよ。しかし、今日は暑いね」
と言いつつも、イシスは一滴も汗を掻いていない。
実際、それほど暑さを感じているようには見えなかった。
「ルックも涼みに?」
問われると、立ち去ろうとしていた足が動く手前で押し返される。
ルックがイシスを苦手とするのは、絶妙のタイミングで自分の行動を
遮るからだと本人は思っている。その裏に隠された真意を知る者は少ない。
ルックの憮然とした表情から、イシスは更に彼の心を読み解く。
「あぁ、確かにここなら静かでもあるな」
くくっと笑う。苦笑じみた笑いはイシスの十八番だ。
ただし、夜の中では幾分か精彩を欠く。深い影のせいかもしれない。
言葉だけはやけに明瞭であり、冷めた、突き放した感じを隠さない。
イシスが言わんとしている事を察したルックの頬に赤みが差す。
隣を盗み見たら、イシスはそれこそ冷風に吹かれているかの如く涼やかだ。
言い当てられた事に加えてイシスの態度、ルックは見下されていると思ったのか、
精巧に作られた顔を歪めて、綺麗な瞳には不釣合いな感情を現した。
「君、軍主でしょ。何とかしてよ」
何を、と問うのは無粋であろう。
まだ子供と表現しても差し支えないルックの口から、
大人たちの欲望について聞くのはイシスとて本意ではないのだ。
未だに上気した頬で文句を言うルックは、いつもより生気に満ちていた。
辺りが暗いせいで、相手の表情を読み取ろうと鋭敏になったイシスの神経は、
夜とは交わらない少年の細部までを眼に映して、ふと得心する。
男達が少年を見る目に、時折不可解な鈍いきらめきが燈る謎の答えが、今。
するりと手を伸ばせば、空気が震えて少年が眉根を寄せる。
「……何?」
心なしか声が震えていた気がしたが、恐らく勘違いだろうと片付けた。
触れようか触れないか──イシスの手は、空を彷徨って地に落ちる。
しばらく経ってから、ほんのちょっとの苦笑を浮かべた。



「さて、寝ようかな」
涼みに来たにしては、ずいぶんと短い時間だった。
ルックは訝しそうにイシスを見たが、何時だってイシスの心を見通せた例はない。
「ルック、君も早く寝るんだよ。子供は、もう寝る時間だ」
子供と言われてルックはムッとする。反論がくる前にまた、イシスは苦笑を作った。
それを見ると、ルックはもう何と言ったらいいのか分からなくなる。
沸々と湧き上がってくる感情は、決まって不透明の膜に覆われているのだから、
苛立ちと困惑だけが胸の奥に積もり、確かにそこにあるものを覆い隠そうとする。
それは、諦めよりも落胆に似ていたのかもしれなかった。
「……一体、何しに来たのさ」
振り返らない背中に吐き捨てて、ルックは夜を睨みつける。
暑い、体をなでまわす熱風。
自分だけがそれに囚われているのかと思うと、ルックは面白くなくて地面を蹴った。
この下には軍主の部屋がある。
でもきっと、彼は何にも興味を抱くことなく眠りにつく。
──夢を見ることなく。

屋上に留まっていた鬱々とした風が散らされた後、
そこには誰の姿も残らなかった。















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