×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

雲は行く
──触れてほしいと願えば願うほど、遠く離れるもの。









 イシスは振り返った時、自分が一人で道を歩いていた事を知った。
とりあえず立ち止まり、右手に持っていた棍を杖代わりにして寄りかかる。
空を見上げればどこまでも青く澄んでいる。
時折、ふわふわと漂う美味しそうな雲が視界を遮った。
1つ、2つ、3つ……
20ほど数えたのち、イシスは視線を地上へと戻す。
すると、大きな孤影が1つ、自分に対して手を振っているのを発見した。
「……やれやれ」
溜め息混じりに呟いてから、緩慢な動作で来た道を戻っていった。



「姫君がお倒れになったのかい?」
聞くまでもない事だったが、イシスは地べたに座り込んでいるルックの姿を見ながら問うた。
「まぁな。いつものことだろ?」
シーナが慣れた手つきで手ぬぐいを絞っている。
既に荷は解かれ、座り込んでいるルックの周りでは忙しなく人が動いていた。
「状態は?」
「いつも通りさ」
水が滴り落ちないのを確かめた後、シーナは心配そうに眉根を寄せてルックに駆け寄る。
イシスはどうしたものかと頭を掻いて、ルックが介抱される様をぼんやりと眺めた。
 ルックに体力がないのは見た目からも察することができる。
もはや周知の事実と化しているひ弱な魔法士を連れまわすのは、イシスとて忍びない。
が、ルックが居ると居ないのとでは仲間の士気が格段に違うため、
この足手まといと言っても過言ではない少年は欠かせない存在なのである。
だが、こうも足腰が弱くてはどうにもならないな……
イシスはルックを見た。
かの少年は不機嫌そうに顔を顰め、周りの人間のされるがままになっていた。
文句を言いたくても、毒舌を発揮するだけの体力も残っていないらしい。
イシスはぐるりと辺りを見回して、周囲に人の気配がない事を確認すると、
甲斐甲斐しくルックの世話をするビクトール、フリックの間隙を縫ってルックに話しかけた。
「ルック、もう無理?」
言い方が癪に障ったのか、鋭い視線が返ってくる。
「ここは見晴らしが良すぎる。もう少し移動しないと帝国軍の餌食にされる」
「俺らが見張ってるからさ、ルックをもう少し休ませてやれよ、リーダー」
口を挟んできたのはシーナだ。短く切られた金髪が陽光を反射してきらきら輝き、
ニッと笑う彼の姿を見れば本来の年齢より若干若く見える。
「それに、こんな辺鄙な場所に帝国軍がいるはずないしな」
ルックのブーツを汗だくで脱がしているのはフリックだ。
こちらは実際の年齢よりも精神年齢が低いと専ら噂されている。
「何なら、俺が背負っていこうか?」
そう申し出たビクトールを睨み付けたのは1人や2人ではない。
ルックも冗談じゃないとばかり、ビクトールをねめつけた。
「そうか。ではシーナは北、フリックは南を、ビクトールは西を見張ってくれ」
「「「……は?!」」」
イシスの言葉に3人の声と気持ちが唱和した。
「ルックを休ませたいのだろう?ならばきちんと見張るように」
「で、何でお前がルックの隣なんだよ!」
フリックが異を唱えると、イシスは何でそんな簡単な事を聞くのかと言いたそうに、
紫紺色の瞳を丸くする。
「何故って……僕が一番強いからだよ、この中では」
そのセリフにグッと押し黙る一同。
確かにイシスは一番強い──立場的にも、戦闘能力的にも。
 彼らが去ると、辺りは急に静かになった。
もっとも、煩わしい視線は絶えず2人の背中に注がれていたが。




「雲、か」
沈黙を破ったのはイシスの独語だった。
イシスはごろんと草原に寝転がり、空を見つめてポツリと言った。
「僕は昔、雲に触ったことがあるんだ。ルックは?」
「あるわけないでしょ。そもそも、雲には触れないし」
ルックが答えると、イシスは驚いたのか目を見開いた。
そうすると、いつもの大人びた雰囲気は影を潜め、年相応の少年に見えた。
「さすがルックだね。普通の人は雲に触れない事、知らないよ」
「常識でしょ」
ルックの返事に愛想がないのはいつもの事なので、イシスは特に気にしなかった。
やや目を細めたイシスに、ルックは自然と目を向ける。
認めたくはないけれど、紫と青の中間を泳ぐ雲はちょっと綺麗だったから。
「白いもやが視野一面に広がって、僕は始め、それが雲だと気付かなかったな」
くすくす笑うくせに、相変わらずどこまでも一緒の笑い方だった。
ルックは苛立ちを感じながらも、何も言えずに押し黙ったままだ。
「グレミオがね、雲に乗れるって教えてくれたから期待していたのだけれど」
そして、笑い顔で死んだ者の名を呟く。
「バカじゃないの」
果たして何が?何に対して愚かだと感じるのか。
ルックの言葉など予想の範疇を超えないのか、イシスは易々と毒舌をかわした。
「雲に乗れたら、ルックはどこに行きたい?」
不意に真剣な目を向けてくる。ルックは、中途半端な嘲笑を浮かべるに留まった。
「想定なんて無意味だね」
「確かに。でも、雲に乗れたら楽しいだろうね」
そう思うのは、君があの頃に戻りたいと願っているからだろう?
ジリジリする。イシスは遠い目で雲を追いかけ、決してこっちを見ないのだろう。
「さて、無意味な会話は時間の無駄、か。行こう、ルック」
ささっと立ち上がり、服についた土ぼこりを払うと、イシスは棍を握り締めた。
ルックは遠ざかるイシスの背を見送って、ふと手を伸ばしてみる。
影さえもつかめない。影さえもゆらゆら、蜃気楼に消えてしまった。




 道の途中、ルックはイシスの見上げていた空を仰ぎ見る。
何となく舌打ちがしたくなって、代わりにロッドで地面を叩きつけた。
ルックは、雲は君じゃないかと思うのだ。
ただの一度も、僕を褒めてくれやしない。
ただの一度も、疲れている僕の頭を撫でてくれやしないのだから。


ただの、一度も。













戻る